オープン・トップ・コンテナ《屋根高さ固定型》

コンテナ構造区分コードでは別タイプとなるが、

外観はドライ・コンテナと変わりはないものの、屋根の天板部分全体を

クレーンで吊り上げて開閉するタイプで、少数ながら日本でも流通している。

ただし、このタイプは、重い屋根の天板部分全体をクレーンで吊り上げて

開閉するために、荷役作業前後に多少の手間が掛かる。

従来のオープン・トップ・コンテナでは、

ほとんどに採用されている幌や防水シート類が張ってあるために、

積載貨物の情況に応じて天井が盛り上がるように貨物を積載したりするような

柔軟性に優れているが、このコンテナは屋根全体が一枚又は、二枚の鉄板蓋で

できているので、コンテナ本体内寸の高さより背の高い貨物は全く積載できない。

しかしその反面、このコンテナの上には他のコンテナを何段にも積み上げできるため、

船倉内でのデッドスペースは全く発生しないので、

割り増し料金などのコストが節減できる。

その他の海上コンテナ

代表的な特殊用途に使用するコンテナとして、

自動車輸送用のカー・ラック・コンテナ、家畜輸送用のペン・コンテナ、

獣皮の輸送に使われるハイド・コンテナ、穀類や粉状・粒状の貨物の輸送に

用いられるバルク・コンテナといった種類のコンテナがある。

しかし、その特殊性ゆえに運用数も極端に少なく、

また運用区間も限られている場合がほとんどで、目にする機会は少ない。

海上コンテナの歴史

規格化された箱に不揃いな荷物を詰めて輸送の便宜を図るというアイデア自体は

18世紀末の運河時代にまでさかのぼる。

しかしコンテナが重要となったのは、

世界的にコンテナおよびコンテナ荷役機械が標準化された

20世紀半ば以降である。

コンテナ化は貨物の荷役作業はもとより、物流全般、港湾・倉庫・船舶・鉄道、

果ては航空の設計や仕組みまで大きく変えた、

20世紀の物流革命の最も重要な要素であった。

前史

1830年代には欧米のいくつかの地域の鉄道会社が貨物列車用に、

荷車や船にも積み替えできる木製の小さなコンテナを運用していた。

こうしたコンテナは、もとは1780年代末にイギリスの

ブリッジウォーター運河をはじめとする各地の運河会社が

艀に石炭を詰めるために開発したものであった。

1840年代には鉄製のコンテナも登場し、

1900年代初頭には鉄道から貨物自動車に載せ換えられる

密閉されたコンテナも登場した。

1920年代には、イギリスの鉄道会社間の運賃決裁などを行う

鉄道運賃交換所(Railway Clearing House)が各社まちまちのサイズの

コンテナ標準化を行い、「RCHコンテナ」が誕生した。

これは5フィートまたは10フィートの長さで、積み置きはできなかった。

非常な成功を収めたものの、イギリスだけでの標準にとどまった。

アメリカのみならず西側諸国やソ連などでも第二次世界大戦後、

各国独自の規格の鉄道コンテナが普及していった。

アメリカでも1920年代に、鉄道・自動車・船の間での積み替え作業を

省略するため、さまざまなインターモーダル輸送が試みられた。

1926年から1947年にかけ、

シカゴのシカゴ・ノースショア・アンド・ミルウォーキー鉄道は

長物車に船社所有の貨物自動車を載せるサービスを始め、

1929年初頭には船会社シートレイン・ラインズ社(Seatrain Lines)が

ニューヨーク・キューバ間で貨物列車輸送を始めた。

1930年代半ばにはシカゴ・グレートウェスタン鉄道が

長物車に貨物自動車を載せるピギーバック輸送を開始し、

各鉄道会社が1950年代までにこのサービスに加わった。

戦争とそれにともなう兵站輸送の増大もコンテナの登場を後押しした。

第二次世界大戦の後期に、アメリカ陸軍は輸送船への積み下ろし時間を

可能な限り短縮するためコンテナの使用を開始した。

このコンテナは「トランスポーター」(transporter)と呼称された。

「トランスポーター」は再使用可能な鉄の箱で、

寸法は長さ8.5フィート(2.6m)、幅6.25フィート(1.91m)、

高さ6.83フィート(2.08m)、9,000ポンドの貨物が詰められた。

当初は士官用の日用品輸送が中心だったが、

朝鮮戦争で機密物資の荷役能力や効率性が評価され用途が広がった。

釜山港での沖仲仕による作業時間の長さ、木箱に入れた貨物が窃盗されたり

荷役時にダメージを受けたりしやすいことも、

軍に鉄製コンテナの必要性を痛感させた。

1952年には、修理用器具や部品などコンテナで急送する貨物を意味する

「CONEX」(Container Express の略)と呼ばれる便が登場した。

最初のCONEX貨物の輸送は、ジョージア州コロンバスのデポで

コンテナに詰められサンフランシスコへ鉄道輸送され、

横浜経由で韓国に上陸するという経路をとった。

これにより荷役の手間は省かれ、輸送時間は従来の半分に短縮された。

ベトナム戦争では物資の大半がCONEXで輸送された。

国防総省は8フィート×8フィート×10フィートの軍用コンテナを標準化し、

一般用にも普及した。

1951年、デンマークで、コンテナを輸送する目的で建造された

最初の貨物船が運用された。

同年、シアトル・アラスカ州間でも貨物船によるコンテナ輸送が始まった。

コンテナ専用に建造された貨物船「クリフォード・J・ロジャース」を使用した、

世界初の海陸一貫コンテナ輸送システムは、1955年にモントリオールで、

ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート社(アラスカ太平洋側から

ユーコン準州を結ぶ鉄道)により構築されている。

1955年11月26日、600個のコンテナを載せたクリフォード・J・ロジャース号は

ノースバンクーバーから出港し太平洋を北上してアラスカ州東南部の

スキャグウェイ港へ着き、ここでコンテナ専用貨車に積み替えられ

国境を越えてユーコン準州へと北上した。

ユーコン準州からの貨物は、現地の荷主がコンテナに詰め、

鉄道・船・トラックを経由して一度もコンテナを開けられることなく

受取人のもとへ届いた。

構想

今日につながる船舶用コンテナの発明者は、全米有数の陸運業者を

裸一貫から創業したマルコム・マクリーンといわれ、

1956年にアメリカ最初のコンテナ専用貨物船「Ideal-X」を就航させている。

そのアイデアは1930年代、彼がニュージャージーのトラック運転手だった時代にまで

さかのぼるが、実現したのは彼が船会社「シーランド (Sea-Land)」

(現・マースクライン、Maersk Line)を設立した1950年代だった。

かつては貨物船の荷役は、いくらかのクレーンを補助的に使うほかは、

基本的に陸仲仕や沖仲仕といわれる港湾労働者たちが大勢で人手で行っていた。

彼らは岸壁に停泊した本船に数日がかりで荷物の積み下ろしを行っていた。

港の沖では、無数の本船が岸壁の順番待ちをしており無駄な時間をすごしていた。

こうした港湾での待ち時間は、世界的な船のスケジュールや、

陸上輸送・工場生産のスケジュールをも狂わせていた。

はしけにより沖仲仕が海上で荷役作業をすることがあったが、

風が強く海が荒れている場合などは大変危険な作業であった。

また倉庫や船舶から貨物の一部が抜き取られる「荷抜き」も頻繁に発生していた。

ロンドンのドックランズなどの倉庫・埠頭街や保税地区は高い塀で

周りを囲まれていたが、内部の作業員による盗難は収まらなかった。

陸上での、トラックから倉庫や船への積み下ろし作業も、

手間と時間がかかるものだった。

個人トラック業者だったマクリーンは、積んできたトラックの荷物が

船に積まれていくのを岸壁でじっと待つ間、

トラックから荷物を降ろしてまた本船の船倉に並べなおすよりは、

いっそのことトラックごと船に積んでしまえば楽になるはずだと考えていた。

実用化

マクリーンが陸運会社を大きくした1950年代、

彼はかねてからのアイデアを実現に移すべく中古の貨物船を購入して改造し、

トレーラーをそのまま船倉に乗り入れさせて積み込む貨物船(RO-RO船)を実現した。

だがこれはトレーラーの車輪や運転席の分だけ無駄なスペースが必要で、

もっと効率的に詰め込むため、彼はトレーラーの運転席・車台部分と

荷物の入った部分を分離させ、荷物の入った箱型の部分を規格化して

「コンテナ」にし、一方船側の船倉全体に規格化されたコンテナを

積み木のように積み固定するためのガイドレールを縦横に設けた

「コンテナ船」を発明した。

このコンテナを運ぶクレーンは当面は船にも設置したものの、

基本的に船には余計なクレーンは設置せずに、港の岸壁に

コンテナ積み下ろし用の「ガントリークレーン」を設置して、

将来はこれを世界中の港に整備すべきだとした。

マクリーンは自らの陸運会社を売って船会社を買収し、

中古軍用タンカーを買ってコンテナ船「Ideal-X」に改造し、

1956年、ニュージャージー州ニューアークからテキサス州

ヒューストンまでを58個の金属製コンテナを積んで運航した。

世界標準化

海上輸送のコンテナ化により、船に積んだコンテナを

別の港で規格化された車台を持つトレーラーにおろして

そのまま客先まで運ぶという、海陸一貫輸送が実現した。

マクリーンはこれらのコンテナ船を持つ会社を

海陸一貫の理想をこめて「シーランド」と名づけ、

アメリカ国内航路だけでなく外国航路にも乗り出した。

アメリカ合衆国の同業者やヨーロッパ、日本の船会社も追随し、

ベトナム戦争の兵站輸送を始め海上貨物輸送の多くがコンテナを採用した。

1960年代後半には世界各地の主要港で、従来型の荷役作業を行なう港湾労働者の

「コンテナ化反対運動」のさなか、コンテナ専用埠頭が次々完成した。

この時代、日本の神戸港がコンテナ取扱個数世界一を誇っていた。

海上輸送用コンテナの規格は、アメリカのトレーラーや鉄道で使われていた

コンテナが元になった。

当初はシーランド社の用いていた35フィートコンテナ(アメリカの

セミトレーラー車の当時の最大規格)、およびマトソン社の

24フィートコンテナ(同じくフルトレーラー車の最大規格)の

2種類が主流だったが、国際海運業界の採用を前に1963年に

ISOが規格を統一し、長さ40ft高さ8ft(1A型)と長さ20ft高さ8ft(1C型)などの

4種類とされた。

コンテナ自身は耐久性があって何年も使用が可能であり、

中身の貨物は運送中も確実に保持・保護され、積み重ね可能で、

野積みの状態で倉庫代わりにもなり、荷抜きの問題は大幅に解消された。

世界中の航路を2,000 TEU級の大型コンテナ船や1万 TEUを超える

超大型コンテナ船が往来し、ガントリー・クレーンを使い

わずか1日や半日で貨物の積み下ろしを終えて次の港へ向かうという、

定時性が高く早いコンテナ時代が到来し、世界の貿易や物流のありようが、

わずか十数年で根底からがらりと変わってしまった。

こうしてコンテナ船に対応できない従来型の埠頭や倉庫は急速に寂れていった。

さらなる拡大

1980年代末には、国際貨物が急増する日本やアジア⇔北米間の海上輸送に

対応するため、4,000 TEU級の巨大船が建造された。

これらの船は狭いパナマ運河を通れないため、大西洋側には行かないかわり、

オークランドやロングビーチなど太平洋側の港で船から貨物列車の台車(コンテナ車)に

直接コンテナをおろし、大陸横断鉄道で全米へ輸送することになった。

コンテナを一度に大量に運ぶ船の導入により、

効率化と運賃競争激化への対応をめざしたものである。

また、鉄道で西海岸から東海岸に運送したほうが、

すべて船で運ぶより到着時間が早いメリットもあった。

さらに、9.6フィート高のコンテナや、45フィート長の大型コンテナも登場する。

コンテナ船は商用のみならず軍需物資輸送にも使用され、湾岸戦争では

多国籍軍の食糧・兵器輸送のために82,000 TEU以上がペルシア湾に運ばれたが、

混載された貨物の複雑きわまる行き先管理は当時の情報システムの限界に達し、

その後の物流の大きな課題となった。

2000年代前後より、中国の「世界の工場化」にともない輸送量がさらに増える一方、

運賃競争も激しさを増してコンテナ船会社同士の国境を越えた合併が相次いだ。

船自体も8,000 TEU、9,000 TEU、14,500 TEUという全長300mを超える超大型船が

運航されるようになった。

これにあわせ、世界中の港ではガントリー・クレーンの大型化や水深15m級岸壁の

整備など、設備の大型化工事に追われている。

今日では一年間の船舶輸送のうち、90%以上がコンテナ化され、

年2億個以上のコンテナが輸送されている。

ISOによるコンテナ標準化で、陸運会社や鉄道会社は、ISO標準コンテナに

合わせた大きさのトレーラーや貨車の車台への置き換えが迫られた。

また、多種の異なった大きさだった貨物用パレットも、

ISO標準コンテナに合うサイズに標準化されてきており、

独自のパレット規格にこだわってきた日本の各業者も標準化が急務となっている。

鉄道コンテナ

日本国外

鉄道は船に比べて速く、飛行機よりも割安なため、大陸間輸送の場合でも

ランドブリッジとして大陸横断鉄道が(特に北アメリカ大陸で)活用されている。

内陸輸送の上でも、トラック数百台分のコンテナを一気に運ぶことができるため

鉄道は効率的な輸送手段である。

アメリカ合衆国やヨーロッパなどでは、海上コンテナ(ISO規格コンテナ)の使用が一般的で、

コンテナ貨車を 100両以上連ねた長大な貨物列車(俗に「マイル・トレイン」と呼ばれる)が

効率的な物流手段として日常的に運転されている。

車両限界に余裕のあるアメリカなどでは、

コンテナを上下2段に積み重ねて輸送する「ダブルスタックカー」も見られる。

こうした複層貨物鉄道輸送は、アメリカ以外でも効率的にコンテナを大量輸送するために

導入されている。

日本国内での定義と現状

国内の地域によっては、中小の私鉄各社がJR貨物からの輸送委託を受けて

輸送区間限定で運用するも、日本国内での鉄道で輸送されるコンテナは、

すべてJR貨物単独一社のみで総括管理している。

このために事実上は、たとえ前項の国際海上コンテナも含めて

どのような形式のコンテナであれ、JR貨物での輸送用コンテナ形式としての

承認登録と、完全な輸送管理下に置かれる事になる。

JR貨物所有のコンテナ

日本国内の事情(道路上の輸送、輸送単位など)に基づく独自の

12フィートの各種コンテナが主体であるが、

ごく一部の形式に15フィート(24A形式・積載重量8t、10個登録)や、

2012年から正式に導入された30フィート(48A形式・積載重量14t、25個登録)のように、

特殊な大きさのドライ・コンテナもある。

また、12フィートの各種コンテナは、向きを変えることで

新幹線と在来線の両方に対応できるよう配慮されている。

ただし新幹線によるコンテナ輸送は計画はされたものの、実際には行われていない。

12フィートコンテナも、1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)を

きっかけとして災害時等の輸送障害などを考慮し、

鉄道代替手段として海上輸送可能な船舶積載時の吊り上げ荷役に使用する

隅金具装備のコンテナが、多数増備されて来ている。

JR貨物以外の民間所有のコンテナ

従来は、鉄道用コンテナの多くが国鉄→JR貨物所有であったが、

1990年代以降紙輸送列車や化成品輸送列車のコンテナ列車化、モーダルシフト化が進み、

鉄道私有コンテナでの規制が緩やかになったため、

海上コンテナ同様多数の運送事業者(宅配便、専門輸送会社など)や

リース会社他、農水産食品会社・各種製造企業、専門輸送業者以外の

多くの企業・事業団体も所有し、運用業種は多種多様になっている。

中にはISO規格の海上コンテナと同規格の鉄道私有コンテナも存在するなど、

JR貨物が認定した大型コンテナも急速に増えてきている。

また、今日のゴミ輸送のコンテナ化輸送のモデルともなった、

行政機関である神奈川県川崎市の自社所有コンテナ輸送(12フィートコンテナでの

空き缶輸送を全国通運へ委託運用分を除く)の珍しい事例もある。

JR貨物コンテナ

JR貨物は、日本貨物鉄道株式会社の略称である。

日本貨物鉄道株式会社(英称:Japan Freight Railway Company)は、

1987年4月1日に日本国有鉄道(国鉄)から鉄道事業を引き継いだ

JRグループ7会社のうちの一つ。

コーポレートカラーはコンテナブルー(青とグレーの中間色)。

社章であるJRグループ共通のJRロゴのほか、

独自のサービスマーク「JRF」ロゴも使用している。

またロゴの色も19A形以降のコンテナに使用されている

JRFレッド(ワインレッド)が用いられる場合がある。

JR貨物コンテナ登録規格

現在の日本における鉄道コンテナの規格は、次の様に定められている。

■ 1種(12フィートコンテナ):長さ 3,715mm、幅 2,450mm、高さ 2,500mm、最大総重量 6.8t

■ 2種(20フィートコンテナ):長さ 6,058mm、幅 2,490mm、高さ 2,500mm、最大総重量 13.5t

■ 3種(30フィートコンテナ):長さ 9,125mm、幅 2,490mm、高さ 2.500mm、最大総重量 13.5t

上記の規格より各数値が大きい場合は規格外コンテナとされ、

積載貨車や運用区間が限定される場合がある。

規格外コンテナは黄色のひし形マークに、高さ (H)、長さ (L)、幅 (W)、総重量 (G) を意味する

HLWG の英数字が書き込まれているマークが付けられ、

そのうちのどれかの値が規格内であればその部分は黒く塗りつぶされる。

関連項目

ドライ・コンテナ(鉄道コンテナ)

積荷は国際用、海上ISO規格と同じである。

運用形態はJR貨物が所有するコンテナと、JR貨物が輸送を認め私有コンテナとして登録した

官民が所有する形態に分かれている。

使用するコンテナは別記の通りのサイズ規格により厳格に別けられており、

国内鉄道での運用が基本のため、また、日本の商習慣や顧客イメージおよび、コンテナ内での

貨物の積み付諸事情を反映して海上ISO規格や内航で主流を占める鉄板むき出しはほとんどなく、

逆にベニヤ貼り付け等の内張りがあり積付け用のフック・ラッシングレール等の装備が充実している。

ただし、内張りのない代表例として、旧国鉄時代に国鉄所有で当時の危機的財政難の折に

製作コスト節約のために、新形式として登場したC35形がある。

しかし、登場間もなくからこのコンテナを使用する荷主や輸送関係者から積荷の変質や、

むき出し鉄板との摩擦による積荷の棄損事故・苦情が多発し、通常の輸送には不向きと

されその後、内張りを急遽復活させた新形式C36形に移行し、大量に余剰となったC35形は

早々と淘汰されたり、産業廃棄物輸送等に振り替えられた。

関連項目

リーファー・コンテナ(鉄道コンテナ)

日本国内の鉄道貨物独自の冷凍機付冷凍コンテナの仕様には、

外部発電機から電気ケーブルで給電する電動機付冷凍コンテナ

「集中式クールコンテナシステム」(以下「集中式」)と、

コンテナ個々に独立装着した小型発電機で直接給電する

ディーゼルエンジン付冷凍コンテナ「分散式クールコンテナシステム」

(以下「分散式」)がある。

集中式

集中式での鉄道冷凍輸送は、1988年から関東 ~ 北海道区間の限定輸送で始まった。

この方式で使用する冷凍コンテナは冷凍機が電動機駆動のため、電源が必要である。

しかし通常の貨車には電源装置がないため、予備発電機を搭載した二重系統仕様の

発電専用電源コンテナ(G30A形・ZG形)を積んだ貨車の前後を、電源供給用引き通し

電気ケーブルを設けた貨車で挟む形で積載する集中式が開発された。

後記する国鉄時代からすでに運用されていた分散式では、当時の機器類の耐久性問題や

自動運転技術の未熟さ故に、長距離輸送の際には途中停車駅で多少の点検はあるものの

それ以外は乗務員の目に触れないため、万一発電機停止などのトラブルがあれば

積荷が変質するなどのおそれがある。

また、自然災害などによる輸送障害時に予定外に長時間臨時停車するときには、

各冷凍コンテナ搭載の発電機に燃料油をコンテナ毎に追加給油するなどの手間もかかったが、

この集中式であればそのような致命的打撃はほぼ免れることができる。

しかし、積載貨車が限定されるのみではなく、輸送トラックにも小型発電機を装備し、

発送者・荷受人両方において三相交流200V工業規格の専用給電設備が必要となるなど、

集中式では運用の自由度が極端に低かった。

さらに貨車に積込・積降し時の付帯する多数の電源ケーブル接続や点検、

機器の設定などの諸作業にも膨大な手間暇がかかった。

このため、登録運用されていた集中式専用コンテナは

日本通運12ftタイプ5t積載UF15A形1000番台および、

20ftタイプ10t積載UF26A形1000番台・全国通運12ftタイプ5t積載UF15A形1000番台および、

20ftタイプ10t積載UF27A形1000番台・西濃運輸20ftタイプ10t積載UF26A形1000番台の、

3社合計約60個程度に留まり、わずか数年で中止されてしまった。

ただし、その後にJR貨物仕様の集中式クールコンテナシステムとは別に

国際海上冷凍コンテナのみを対象として、

関東(神奈川県/横浜本牧駅)~ 東北地区(宮城県/仙台港駅)への新ルートを新たに開設し、

現在に至っている。

しかし、平成22年3月ダイヤ改正により廃止されてしまい、

これにより国内で唯一残っていたこの輸送方式は、事実上、姿を消してしまった。

なお、一度の輸送個数が数個程度のために、従来の電源コンテナ(G30A形・ZG形)は一切使用せず、

新たに中村荷役所有の私有2tタイプの電源供給用専用電源コンテナG8D形を5個新規に製作し、

この電源コンテナから給電している。

分散式

そこで集中式の欠点を解消すべく、既に国鉄時代に試作的に開発されていた各コンテナに

独立した小型ディーゼルエンジン発電機を搭載して、冷凍機を駆動する分散式が

再認識され本格的に導入された。

先ず前記述の集中式がまだ開発・運用されていなかったJR貨物移行初期に、

国鉄時代に運用していたコンテナに発電機を固定装着した20ftタイプ10t積載のUR5形や、

JR貨物以降にそれまでの実績を引き継いで新開発された12ftタイプ5t積載のUF15A形などが

大量投入された。

しかしその後に登場した集中式との兼ね合いで一時期増備が止まっていたが、

集中式の終焉が色濃くなる頃より新たに登場した新形式UF16A形と共に再び大量増備が始まり、

その他にも20ftタイプ10t積載、31ftタイプ10t積載など多くの新形式が続々と大量に登場し、

現在国内で流通しているJR貨物指定の鉄道私有冷凍コンテナは、すべて分散式で運用されている。

この方式だと、貨車やトラックに発電機を積む必要が一切なく、

コンテナ内部の温度センサーでの完全自動運転により、発送者から荷受人に渡るまで

最大約100時間程度の無給油連続運転輸送ができる。

ただし、これらの機器を組み込むためのコンテナ側面スペースの関係から発電機は1台のみで、

集中式のようなシステムの冗長性は一切ない。

また、発電機設備が12ftタイプUF15A形・UF16A形の場合は、

非常に狭いスペースに押し込まれているので、発電エンジンの高温排気熱や激しい振動に

長時間晒されており、日頃のメンテナンスが重要になってくる。

これを怠ると発電停止による積荷の変質事故のみならず、最悪は走行中に火災を起こし

コンテナ本体や貨車、周りの環境に多大な被害を及ぼすことになる。

なお、近年では連続運転時間に問題があったり冷凍機器の故障が多いUF15A形の廃棄が

急速に進んでいる。

変わった使用方法

リーファー・コンテナの変わった使用方法としては、

冬場の寒冷地で特に凍結等を嫌う各種物資を凍結防止に、

保温目的で使用する場合もある。

この輸送方法は、鉄道での冬場の北海道向けJR貨物用冷凍・冷蔵コンテナ輸送でも

良く用いられている。

また、冷凍機を切ってしまえば”ただの箱”となるので、

季節や単発運用等で特定の地域に偏ってしまった場合にも、

空コンテナとして回送する無駄な費用を抑える為に通常のドライコンテナと同様に、

帰り荷を確保し前項の”保温裏ワザ”以外にも年間を通して、

全国的に冷凍以外の通常貨物も輸送している。

関連項目

タンク・コンテナ(鉄道コンテナ)

日本国内では、化成品輸送用のJR規格20フィートのものや、

液体産業廃棄物輸送用の12ft鉄道コンテナなども存在する。

関連項目

日本国内の内航船用コンテナ

日本には全国的に多くの離島が存在するが、

例えば九州地区の離島や関東地区の伊豆諸島などフェリーが就航していない航路では、

貨客船や小型貨物船での生活物資輸送に12フィートコンテナを主体として

その地域に応じた多種多様なコンテナが多く使われている。

この場合、船にクレーンが備え付けられており、入港時に積み下ろしをする光景が見られる。

また離島以外にも代表的な例として、

九州⇔北海道・北海道⇔関東⇔関西⇔九州等、本土間の中長距離を

定期的にフェリーや内航コンテナ船を中心に、各種船舶を利用し、大量に輸送している。

ドライ・コンテナ(内航船用コンテナ)

積荷は国際用、海上ISO規格と同じである。

サイズは国内の離島への生活物資輸送と国内各地を長距離海上輸送するため、

12フィート・20フィートを中心に運用されているが、

地域によっては6フィート前後の小型タイプや逆に長距離輸送の場合は、単体ではなく

シャーシー積載状態で40フィート級も利用している。

コンテナ内部は基本的には内張り等はほとんど無く、やはり夏場での積荷の結露や

コンテナ内部の温度対策には注意が必要となる。

ただし、日本通運が運用する12フィートは、逆にベニヤ等での内張り仕様が

大多数を占めている。